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3. ボディビルコンテスト出場。優勝できた2つの要因

東京YMCAでウェイトトレーニングを始めてから、
4年目の1966年、

ボディビルのコンテストに出場しました。
(第1回全日本フィジックコンテスト:ウェイトリフティング協会主催)

24歳の時のことです。



出場していたのは20人前後だっと思います。

当時はまだ、
ボディビルの世界と言うか業界というのは、
まだきちんとした組織になっていなくて、

ウェイトリフティング(重量挙げ)の方が主流だったんです。


それまでは、
ウェイトリフティングの大会が終わった後に、
余興的に、
筋肉の大きさを競うコンテストのようなものが行われていて、
それがこの年に、正式な大会として開催されたと記憶しています。

「お宅が優勝すると思うよ」

階級は、
ショートマン、トールマンといって、
身長で分けられていました。


私が出場したのはトールマンクラス。
身長168cm以上。


自分ではまったく自覚はなかったんですけど、
それほど接戦というわけでもなかったようです。


会場に来ていた他のジムの経営者の方が、

開始前に私の仕上がりを見て、
「お宅が1位になると思うよ」

そう言ってくれたのを覚えています。


ああ、じゃあ、そう言ってもらえるんなら、
私が1位なのかなあ、
くらいに思っていました。笑

そして結果として、
ミスター全日本、ミスター社会人の両部門で、
優勝することができました。

やるからには勝つ。優勝できた要因その1:異分野から学ぶ

コンテストに出場するにあたっては、
ポージングをかなり練習しました。
ポーズを練習したから勝てたとさえ思います。

ボディビルというのは数値で競うわけではなく、
どう見えるか、見せるか、もっというと、
どう魅せるか、
で争われる競技ですから。

人の目に自分の体がどう映るかを一生懸命考えたのが、
優勝につながったように思います。

現在のボディビルの大会では、
規定ポーズとフリーポーズの2種類があります。
ですがその頃はフリーポーズだけ。
当時の師匠にアドバイスをもらいながら、
2、3ヶ月かけて入念にポージングの練習をしましたね。

そして具体的に何をしたかというと、
日本舞踊の動作や間を研究したんです。
体操選手の動きや身体の使い方も。
つまり、ボディビル以外の分野の動きを研究したんです。

ただポーズを取るだけじゃなくて、間をどう取るか。
指先一本一本の動かし方。
どうしたら見ている人を惹きつけられるか、楽しませられるか。
そういう「見せる」「魅せる」という部分をずっと考えましたね。

ひとつの世界だけしか見ていないと、
視野がすごく狭くなってしまいます。
一歩引いて、一見まったく関係のない異分野にも目を向けてみる。
そうすると、これまで気付かなかったことが見えてくるんですよね。

やるからには勝つ。優勝できた要因その2:応援される

コンテストで優勝できた理由として、

場の空気が私を後押ししてくれた、

というのも大きかったと思います。



大会の司会、アナウンスをする人が、
前述の私の師匠だったんです。

自分の土俵で闘えるというような安心感がありました。

回りの人たちがお膳立てをしてくれたようにも感じます。



私の師匠というのは、
アナウンスの勉強もされていて、

1964年の東京オリンピックでも、
重量挙げのアナウンスをしていたんです。


私のポージングの時には、
ひときわ抑揚を付けて、

「この、流れるようなポーズをご覧ください!」

といった感じで盛り上げてくれて。笑

回りの人たちが応援してくださっていることを、
ひしひしと感じました。



そういった一つ一つが本当に楽しくて、

大会に出るとか優勝するっていうのは、
二の次で。

そういうところもまた、

周りの人が応援をしてくれる要因だったのかもしれません。

トレーニングをすることがただただ楽しい

ボディビルのコンテストで優勝した後も、
私自身、心情が大きく変わる、
ということはありませんでした。



コンテストを目標にしてトレーニングを始めたわけでも、
勝つために続けていたわけでもなかったですし。

純粋にトレーニングをするのが、好きだったんですよね。
ただただ、楽しくやりたかった。


だから、次の年もコンテストは開かれたけれど、
結局出ませんでした。

ボディビルという競技は、
20代半ばごろがピークだと言われていたし、

一度出たから、もういいかなって。


仮に、当時、
今のような機能的なマシンとか練習環境があって、

自分自身も欲を出してトレーニングをしていたら。。。

もっとすごいことになってたかもしれないなあ、

なんて思うことは、たまにありますけどね。笑